虹彩の宝石箱 小説置き場

一次創作“虹彩の宝石箱”の関連小説置き場

青銅蒼-1 白髪の男の子

 人間で言うところの小学生くらいの頃。

 僕には昔、母さんと双子の妹の藍、2人の家族がいた。

 藍は僕と違って明るくて社交的。母さんも少し抜けているところがあるとはいえ、とても優しい人だった。

 ……温かい、幸せな家族。

 

 藍は普段友達と遊んでいて、僕も時それに々誘われる。

 小さい頃は僕も一緒に遊んでいたが、最近はあまり混ざってない。少し離れた大木の下で本を読みながらそれを眺めていた。

 読む本は大体……怪談話とか、妖怪についての話。単にそういうのが好きだというのと、理由はもう1つ。

 ……母さん曰く、僕達双子は“半妖”らしい。半分は人間の母さんの血で、もう半分は妖怪の血というわけだ。

 まあでも確かに、傷の治りはかなり速い。切り傷程度なら深くても1日で治る。

 そういえば、他の子達に比べて成長もゆっくりだ。同じくらいの見た目の子より、僕らの方が5歳くらい歳上だったりする。

 妖力は──これに関しては、母さんが生まれた家は皆妖力を持ってるらしいから、詳しくは分からない。どちらの影響なのか。

 そして。僕らはこれまで、“父さん”についての話を一切聞かされたことがない。

 当然会ったこともないし、どんな妖怪なのかすら知らない。

 藍が母さんに何回か聞いていたのを見たこと有るけど、何故か母さんは曖昧にはぐらかすばかり。藍も不思議がっていた。

 僕は表向き、興味無いふりをしてはいた。けど、完全に興味が無かった訳じゃない。

 だからこうして、本を読んでいる。僕らに似た妖怪が、父さんがどんな人なのかの手がかりが見つかるかもしれないから。

 ……とはいえ。そこまで熱心に知りたい訳でもないけれど。

 

 ──その日は、いつも通りに木の下で本を読んでいた。遠くで皆が遊ぶ声が聞こえてくる。

 そんな中。何時頃かも分からないが、突然村の方が騒がしくなってきた。

 ふと顔を上げたと同時にそれに気づき、どうしたのかと思っている内。遊んでいた筈の藍が駆け寄ってきた。

「蒼!」

「……どうしたの?」

 そう聞くと、彼女は不思議そうに少し首を傾げて答える。

「私もあまりよく知らないんだけど。何かね、出たんだって!」

「出たって何が?……え、幽霊の類?」

「あ、いや。そうじゃないけど……」

 なんだ。本に目を戻す。

 幽霊じゃなかったとしたら妖怪だろうか。何にしても、母さんがいるから大丈夫だろう。

「ちょ、待って!聞いて!」

 が、藍は変わらず少し慌てた様子で話しかけてくる。

「あのね。森の方に“マガヅレ”が出たんだって!皆それで騒いでた。今、大人の人達が武器を持って森に入ってて」

 聞き慣れない言葉に、思わず顔をあげる。

「……“マガヅレ”?って、何だっけ」

「え?あー、えっと。確か、たまに山奥から降りてくる……妖怪?」

「妖怪……?」

「う〜ん、妖怪……化物?よく分かんないけど。それが来ると、近い内に何か災害が起こるんだって」

「あー……じゃあ、それで皆」

「うん。災いを呼ばれる前に殺さないと……ってなってるみたい」

「へぇ……」

 そこまで聞いて、ふと疑問が湧き起こる。

「“呼ばれる前に”?」

「あ、うん。皆はそう言ってた」 

 そんな話をしていると、不意に騒がしさが無くなった。森の方から出てくる人達が見える。

「あっ、話聞いてくるね!」

 そう言って駆け出す藍。そのまま待っていると、彼女はすぐに戻ってきた。

「『逃がしちゃった』って」

「逃げた……」

「うん。でも、攻撃は当たったからもう暫くはこないだろうって」

「……そうなんだ」

「それに。また下りてきてもお母さんがいるし、大丈夫だろうって。安心して良いって、言ってたよ。

 ……そういうわけだから私、また皆と遊んでくるね!」

 言い終わるとそのまま、藍は遊び場へ走っていってしまった。元気だな。

 戻った藍は、すぐまた他の子達と遊び始める。もうこっちには視線も向かない。

 それを確認し、読んでいた本に栞を挟む。そして、立ち上がり、軽く走って“森”へと向かう。

 マガヅレ。今まで読んだ本の中に、そんな妖怪の話は一切無かった。

 逃げてしまったんなら、今から行っても意味が無いかもしれない。でも。

 ……なんとなく、嫌な予感が消えなかった。

 

 森へ入り、なるべく奥の方へと進む。

 見失ったというなら、“それ”は結構奥まで逃げたんだろう。元々は山奥にいるという話らしいから、住処に戻ったのかもしれない。

 ……でも、怪我をしているならあまり遠くには行ってなかったりするだろうか。

 分からないまま歩いていき、大分奥まで歩いていった時。

 不意に目に飛び込んできたものに思わず息を呑んだ。

 ……血、だ。血痕。

 点々と続いているそれは、ここよりもさらに奥までずっと続いていた。

 なるべく音を立てないように慎重にそれを辿り、ある地点でふと足を止める。

 そこはもう、僕が入った地点からは大分離れた場所だった。といっても、一周回って森の別の入り口に近い場所。

 入る方向間違えたな……なんて呑気な考えが浮かんだ。

 ──血痕はまだ続いている。長い草を掻き分けて進んでいくと、急に開けたところに出た。

 こんな場所あったんだ。辺りを見回してみると、

「……ッ!」

 突然聞こえた息を呑む音。思わず声がした方向を見て、目を見張った。

 ──子供!

 男の子だ。見たことのない、僕と同じくらいの見た目の子。

 一部だけが紺色の真っ白な髪に紅い目。髪の色も目の色も、本の中でさえ見たことが無い。

 木の下にうずくまっていたその子は、僕に怯えた視線を向ける。

 左目が隠れそうなくらい長い前髪。よく見なくてもわかる、ぼろぼろの着物。

 ……が、正直僕が見ていたのはそちらではなく。

「それっ、足……!」

 右足が、血で真っ赤に濡れている。かなり深い傷の様だった。 

 あまりのことに思わず声を出すと、男の子は大きく震え、直後に呆けたような表情になる。

 でも、それを気にしてる余裕は無かった。僕は男の子に駆け寄り、すぐ隣にしゃがみこむ。

 懐から包帯や布を取り出し、まずは血を拭こうと傷口に手を伸ばすと──その子は驚いたように足を引っ込めた。

 それを見て気づく。……そういえば、警戒されて当然の状況だ。

 とりあえず落ち着かせようと、深呼吸して静かに声をかける。

「それ……足。痛くない?手当て、しないと」

 そう言うと、男の子は本気で驚いたような表情になった。少しの間僕を見つめ、それから何か考えるように俯く。

「逃げて……行かない……」

「え?」

 突然聞こえた、小さな声に思わず固まってしまった。

 俯いているせいで顔がよく見えなかったが……今のは、目の前の彼の声だろうか。

 とても震えた声だった。

「な……何。逃げるって?」

「……」

 男の子が顔を上げる。今度は、信じられないとでも言いたげな表情に見えた。

「……ぼくのこと見ただけで、どっかにいっちゃうから」

「え?」

「大きな声を出して、すぐに走ってどこかに行って……刀とか弓を取ってきて、ぼくを殺そうとする……」

 少しずつ、小さいままの声でつぶやき、男の子は不意に視線を落とした。

「……さっきも、矢で……」

 彼の視線の先には──血に濡れた足。

 一瞬傷に視線を向けた彼は、すぐに顔を背けて苦しそうに固く目を閉じた。

 一方の僕は、彼の話を聞きながら、先程までの藍との会話を思い出す。

 災いを呼ぶ化物が出て。大人の人らが武器を持って、退治しようと──

「──あ」

 不意に声をあげた僕、また体を跳ねさせる男の子。

 咄嗟にごめん、と一度謝る。それから、改めて彼に向かって頭を下げる。

「ご……ごめんなさい。君を撃ったの、多分……僕の村の人達だ」

 途端、時間が止まったかと思った。僕は勿論、男の子も何も言わない。

 何故だろう?顔を上げると、彼はいよいよ恐ろしいものでも見ているような、強張った表情で固まっていた。

 お互いに無言の時間が続く。

 暫くすると、男の子が口を開いた。何か、決心したように。

「そう……、なの……?」

「……うん。ごめん。──とにかく、すぐに手当てするから」

 もう一度、手当てをしようと手を伸ばす。

「……何で?」

「え」

 顔をあげる。最初よりは随分落ち着いたらしい男の子は、意味がわからないといった顔をしていた。

「それじゃ……何で君は……」

「……?なに?」

「だ……だって。村の人……何か言われたり……」

 それを聞いて納得する。

 要するに、文句を言われるんじゃないかと心配してくれているわけだ。

 肩の力を抜いて、首を横に振る。

「ううん、大丈夫。関係ない。もし何か言われたとしても、それは君のせいじゃないから」

 男の子は、出会った直後の時のように呆然と僕を見つめていた。

 そしてすぐに、思い出したようにゆっくりと怪我した足をこちらに差し出す。

「ありがとう」

 なるべく痛まないように、力を入れないように血を拭き取る。

 傷口に包帯を巻いている間、彼はじっと僕を見つめていた。

 

 ──包帯を巻き終わる。

「よし……終わり。傷が開くといけないから、治るまであまり動かないでいて」

 そう言い、辺りを軽く見回す。

 別の入口に近いとはいえ、改めて見ると結構奥まった場所だ。そう簡単に人が入ってくるようなことは無いだろう。

「……ここなら、多分誰にも見つからないから。入り口も見つかりにくいし」

 そう付け足す。物珍しそうに包帯を見つめていた彼も、控えめに頷いてくれた。

「……ねえ」

「ん?」

「ぼく……人間じゃないのに。何で、怖がったりしないの?」

 思いもよらない質問だった。

 思わず何度か瞬きして、そらからやっと質問の意味を考える。

 そうして何も言えないでいる内、彼は言葉を続ける。

「ぼく、化物なんだって。災いを呼んでくるって……」

 その言葉を聞いて、また思い出す。

 ──“マガヅレ”。“災いを呼ぶ化物”。

 今度は、僕が息を呑む番だった。

「違うのに。ぼく、そんなんじゃ……」

 そこまで言って、急に彼の言葉が途切れる。

 見ると、いつの間にか真っ赤な目に大粒の涙が浮かんでいた。

 ……とても、話に聞くような化物には見えない。

 そもそも、この子が本当に“マガヅレ”なのか。確信すら無いけれど──

「君が化物なのか……僕は知らないけど。でも、もしそうだとしても、別に怖くはないよ」

「こわく……ない……?」

「うん」

 なるべく偽らずに。頭の中を整理しながら、思いのままを話す。

「それに……化物ってんなら、僕も同じだし」

 そういえば、とそんなことを話すと、男の子は目を見開いた。

 軽い気持ちで話したつもりが──予想外の反応に、慌てて言葉を続ける。

「僕……人間、なんだけど。半分だけなんだ。もう半分は妖怪。……だけど、何の妖怪の血が入ってるのか、全然分かんないんだ」

 正体不明の妖怪と、人間の子供。

「ね。僕も充分化物でしょ」

 少し自傷気味に笑って見せる。

「そう、なんだ……」

 一体、何を感じたのか。

 彼は静かにそれだけ呟いた。

 会話が途切れる。これ以上何を話せば良いか分からなくなって、つい僕も黙り込んでしまった。

 どうしよう。考えている内、ふと、いつの間にか空が朱く染まっていることに気付いた。

「──あ」

 男の子が顔を上げて僕を見る。そんな彼に向き直って、口を開く。

「僕……そろそろ帰らなきゃ。母さんたちに心配される」

 彼には申し訳ない気もするけれど、あまり遅くなりすぎても母さんと藍に申し訳ない。

 立ち上がって、地面に置いたままの布と包帯を拾う。そういえばこれ、後で洗っておかないと。

「それじゃあ。さっきも言ったけど、それ治るまでじっとしててね」

 いわゆる、“後ろ髪を引かれる思い”ってこういうことを言うんだろうか。

 ちょっと心残りがある気はするけれど、取り敢えず今日は帰ろうと来た道に足を向けた時。

 不意にくい、と着物の裾を引っ張られた。

「──」

 見ると、男の子が裾を掴んで僕のことを見上げていた。

「どうしたの?」

 聞き返すが、反応がない。

 ……と思ったら、案外すぐに顔をあげた。

 真っ白い髪が揺れ、赤色の両目としっかり目が合う。

「あの。お名前……何ていうの?」

「名前?……僕の?」

 あまりにも急な質問に思わず聞き返す。

 彼はこくり、と静かに頷いた。

「あ、えと。僕の名前は……蒼。青銅蒼」

「蒼、ちゃん……」

 慌てて返すと、彼はゆっくりと僕の名前を繰り返した。そして、もう一度改めて僕の方を見る。

「……ねえ。明日も、来てくれる?」

 どく、と心臓が鳴った。

 すがるような瞳だった。……何故?

 驚いて固まってしまいそうだったけど、すぐに微笑んで頷いて返す。

「もちろん。また来るよ、明日」

 それを聞いた彼は安心したように笑い、僕の着物から手を離す。

 ……あ。笑った。

 そういえば、初めて見る笑顔だ。

 そのことにもまた少し驚きつつ。僕は彼に軽く手を振り、森を後にした。

 

  ──それから、大樹の下に置いてきた本を回収し、家への道を走る。

 心なしか何時もより足が軽いように思えた。

 ……明日、楽しみだな。

 そんなことを考えながら。