虹彩の宝石箱 小説置き場

一次創作“虹彩の宝石箱”の関連小説置き場

青銅蒼ー3 不運続き

 二人きりになってから数年。どのくらい経ったかも忘れてしまった。

 言うほど長い時間は経ってないような気もする。数えてないから分からない。

 

 天井を見上げる。ここに来てすぐの時も思ったが、随分豪華な灯だ。もし落ちてきたりでもしたら、ただじゃ済まなそう。

 まあ、無駄に豪華なのは天井だけではないけれど。

 辺りを見回す。

 青銅家の本家──母さんの実家。

 僕と藍は今、ここに引き取って貰って暮らしている。

 

 村からとにかく離れようと、がむしゃらに走ったあの後。

 どこまで来たか分からない、どこかも分からない遠い場所で、流石に休もうと座り込んでいた時。

 そんな僕らを見つけ、心配し、声をかけてくれた人がいたのだ。

 そして、どんな偶然が分からないが、それが叔父だったことが分かった。藍が『お母さんに似てる』と呟いたのがきっかけで。

 僕らも驚いたし、向こうも相当驚いていた。

 でも、おかげでそこからはとんとん拍子に話が進み、結果的にここに引き取ってもらえることになった。

 姪だとわかったからとはいえ、随分優しい人だ。……母さんに似てる。

 そういうわけで、僕と藍は本家の──母さんが使っていた部屋を、二人で使っている。

 

 それにしても母さん、こんな広い部屋に住んでいたのか。

 元は母さんが一人で使っていたらしいこの部屋は、僕と藍が二人で過ごしていても十分なくらい広い。何ならもう一人いても良いくらい。

 居心地は悪くなさそうなのに、一体どうしてあの村に移り住むようになったんだろう。

 叔父が言うには、本当に急に居なくなったらしいけれど──

 理由も告げず手紙もよこさずに、突然だったらしい。そのため叔父もここの人も、誰一人として僕らの存在すら知らなかったとか。

 自分で言うのも何だが、それでよく引き取ったものだとおもう。

 ここにいるのは叔父とその奥さん、その二人の娘。それから数人いる通いのお手伝いさん。

 二人の従妹……年齢は、見たところ僕らと同じくらい。

 とはいえ彼女らは人間だから、僕らとは少しどころじゃなく年は離れている。

 藍とは時々、親しげに話してる姿を見かける。ただ僕はちょっと……ここに来て大分たった今でも、そんなに言葉を交わしたことがない。

 あの2人は何か、言葉に棘があるような気がする。藍は普通に接しているけど、僕はあまり仲良くなれそうにない。

 まあそれでも、叔父は気を使ってくれてるし、叔母も一応従妹達と同じように接してくれてる。

 もちろん母さんがいた頃の事を忘れることは無かったけれど、不満などは全くない生活をしていた。

 

 ──けれど、不運は終わっていなかった。

 

 平穏だったのは最初の数年だけ。

 何がきっかけだったか分からない。いや、変わり続けていたのに気が付かなかっただけだったかもしれない。

 まずは従妹二人。

 いつだったか声高に叫んでいたが、彼女らはもともと僕のことをあまりよく思っていなかったらしい。

 まあ僕みたいな愛想無いの、あまり印象良くないのは当然だろう。僕だってあんな刺々しい声色で話す人らと仲良くする気はあまりない。

 ……いや、こういうところか。

 藍や叔父夫婦の見ていないところで、いじめのようなことをするようになった。

 何度傷つけてもすぐに治るのを気持ち悪がって、暴力は日に日に強くなっていく。

 最初は全く反応しないようにしていた。別に困ることもなかったし。

 もともと、怪我をすることなんて珍しくなかったし、怯えたりすれば彼女らは調子に乗ると思ったから。

 他に被害がいかないなら、別にこのままでもいい。

 傷を見られて心配されることも勿論あったけど、藍や叔父には上手く誤魔化してやり過ごしていた。

 僕の問題で、彼女らに心配を掛けたくなかったから。

 ……だけど、さすがに2、3ヶ月も続いてくると、流石に隠しきれなくなってきた。

 自分ではあまり自覚できていなかったが、どうやら日ごとに表情が無くなっていたらしい。

 元から表情豊かな方だとは思っていないけれど、それでも心配されるほどだからよほど酷かったのだろう。

 藍には申し訳ないことをした。どのくらい不安な思いをさせたんだろう。

 けれど、この2人だけだった頃は、まだ良い方だったらしい。

 

 次は叔母。

 数年経って従妹達はそれなりに背が伸びたのに、ここに来た頃とあまり変わらない僕らを見て流石に気味悪くに思ったらしい。

 彼女が僕らの出生についてよく知らなかったらしいことも原因か。叔父には話していたから、てっきり伝わっていると思っていた。

 それからやっと叔父に僕らの事を聞いたらしい叔母は、あからさまに僕らを避けるようになった。

 ついでに、段々と嫌味や暴力も増えていく。もちろん、叔父には気付かれないように。

 その内、従妹とも結託するようになったのには本当に参った。

 何が最悪だったって、今回は被害を受けたのが僕だけじゃなかったこと。

 今回は藍まで虐待を受けるようになってしまった。

 いつも明るい笑顔を浮かべていた彼女も、だんだんと笑顔が無くなっていく。

 少し前まで僕が心配されっぱなしだったのに。今では逆に、僕の方が彼女を心配するまでになっていた。

 いつも元気な藍のことだから、余計に変化が目立ったのかもしれない。

 いつしか彼女は、話しかけると疲れたように笑うだけになった。

 

 ──ああ、情けない。

 僕は姉なのに。彼女を守らなくちゃならないのに。

 母さんの代わりにならないといけないのに。

 

 藍を守ろうとここまで来たはずが、結局このざまだ。

 いつの間にか、悔しさを感じながらも暴力に耐えるのがすっかり日常になっていた。

 ……三人がかりでの暴力行為が始まって、ちょうど二ヶ月経った辺り。

 僕はもうすっかり慣れてしまったけれど、藍の笑顔が明らかに弱々しくなっているのは正直見てられなかった。

 そのくらいの頃だったろうか。不思議なことが起こるようになったのは。

 具体的には──時々、僕の記憶が途切れることが多くなった。

 従妹たちの嫌味を聞いていたはずが、いつの間にか部屋に戻っていたり。記憶に無い話が、藍の口から出てきたり。

 叔母たちの僕を見る目も、段々神妙なものを眺めるようなものになっていく。

 ただ、そんな状況になる心当たりが全く無いのだ。

 それについて一度藍に聞いてみたが、どうやらここ最近の僕は突然人が変わったようになることが増えたらしい。

 何だが口が悪くて、手が出るのもわりと早いのだとか。

 あまりにも別人のようだし霊気も感じないため、藍はいわゆる“別人格”だと認識していたようだった。

 直接聞こうと思ったことはあったようだが、藍と話す時には出てこないので、聞くに聞けなかったとか。

 一体何なんだろう。少し気味が悪い。──そう思っていたが、それからわりと直ぐに答えを知ることになった。

 その頃、僕は暇潰しにその日あったことを紙に書き連ねていた。

 いわゆる、日記?

 もっとも、最終的には完全に愚痴の吐き出し場所のようになってしまったけれど。

 陰湿ではあるが、そうすることで少し気分を晴らしていた。

 問題はその日記に、書いた記憶のないことが書き込まれるようになったこと。

 しかも妙に会話調で、まるで僕に語りかけてでもいるような文の書かれ方。

 “私”などと言っているのを見るあたり、どうやら女性であるらしい。

 不思議に思わなかったことは無かったけど、僕は日記を通して『彼女』と会話するようになった。

 そしてそれは、僕の毎日の楽しみにもなってきていた。

 怖さなどは特に無かった。昔から、そういう話をよく読んでいたから。

 物が勝手に動くのは元の家ではよくあることだったし。今更幽霊だ妖怪だと言われても何ら疑問は湧かない。

 一度、彼女に聞いたことがある。

『君、誰?』

 意外なことに、その答えはすぐに来た。

 ふっと意識が遠くなったと思ったら、気がついた時には新しい文字。

『式』

 その一文字だけ。

 式?それ名前?変なの……

 今となっては意識が遠のいたことをもっと不思議に思うべきだったが、当時はそんなこと全く気にしていなかった。

 それから彼女と色々話をして、どうやら彼女は数ヶ月前から僕に憑いていたらしいことを知った。

 さらに、今まで従姉妹らに歯向かっていたのも、彼女だったらしい。

 全然気が付かなかった。それに、藍も何も感じていなかったのは何故だろう。

 ただ一応、僕を守ってくれていたことになるのだから悪いものではなさそう。

 何故守ってくれていたのかまでは教えてくれなかった。

 その日からは、話し相手ができたお陰か以前よりも辛くなることも無かったけれど──

 藍には……結局最後まで、彼女の存在を話せなかった。

 

 打ち明ける前に、二度と話せなくなってしまった。

 

 きっかけは、藍の「変な部屋がある」という相談。

 ある日夜に目を覚ました時、変な音がした気がして部屋の外を少し覗いてみたらしい。

 そうしたら、叔母が今まで使っているのを見たことがない部屋に入っていくのが見えた──と。

 廊下の一番奥の部屋。誰の部屋でも無いはずの場所。

 夜中は勿論、昼間にも誰かが出入りしているのは見たことがない。

 あろうことか、藍はその部屋に行ってみようと言い出した。

「いや、やめといた方が……また何か言われたら面倒だよ」

 そう言って、止めはした。

「大丈夫だよ、ちょっと見てすぐに出れば良いし!」

  ……が、押しきられてしまった。

 どうしてこんな状況で、そう前向きな考えが出来るんだろう。そう思ったが、もしかしたら無理にそういう態度を取っていたのかもしれない。

 あの子は、そういう子だ。

 不安はあった。でも、彼女の気分転換になるのならと、一緒に行くことを決めてしまった。

 そのままだと、藍は一人ででも行きそうな勢いだったから。

 

 ……嫌な予感はしていた。何となく感じていたのだ。霊や妖怪とは違う、もっと禍々しいものの気配。

 藍の様子も、思えば少しおかしかった。

 止めれば、よかった。

 

 妙に足取りが軽い藍に着いていき、その部屋の前に着く。

 途端に悪寒が全身に走る。

 それに、何か部屋の中から変な臭いがする。

「じゃあ、行くよ」

 咄嗟に止めるよりも先に、藍が戸に手をかける。

 待って──と、言う暇も無かった。いや、声が出なかった。

 扉を開け放った途端……僕らの表情は、完全に凍りつく。

 途端に強くなる臭い。目の前に広がるのは、何時か見たような光景。

 同時に、先程からじわじわと感じていた嫌な気配も一気に濃くなった。

「……え?う、嘘……」

 藍が、その場にへたりこむ。

 ……真っ赤に染まった、部屋の床に。

 そこに広がっていたのは、あの日村で見たような血の海。

 倒れている、いくつかの知らない死体。

 「これは……」

 込み上げる吐き気と悪寒を必死に抑え、それに近づく。

 ここ数年で、そんなことが出来るくらいには、すっかりおかしくなってしまったらしい。

 それにしても、これはどういうこと?横たわる数々の死体は、多くの“足りない部分”があった。

 腕、足……ああ……お腹が無い人もいる。

 訳が解らなくて、周りを見渡そうとした時──藍が息を呑む音が、聞こえた。

「あんたたち…何をしているの?」

 視線を向ける。

 叔母が。無表情でそこに立っていた。

 手に包丁を持って。

「お、叔母さん……それ、何?この部屋は……」

 恐る恐るといった風に、藍が彼女に尋ねる。すると叔母は、藍の方を少しだけ見た。

「何って、夕食の材料を取りに来たんだけど?あんた、邪魔だからそこ退いてくれる?」

 そう、何事もないように言いながら。

「……はあ?」

「え……?」

 何を言っているんだ、この女。

 夕食の材料?この部屋に何があるというのだろう。

 ここにあるのは、数々の人間の死──

「なっ……い、いつから!?叔父さんは……他の皆は、知ってるの!?」

 最悪な考えに辿り着いたのと同時、藍が叫ぶ。

 ──ありえない。

 昨日の夕食が、不意に頭によぎる。

 

 僕らは、何を喰わせられていた?

 

 どうにか逃げなければならない。そう思うものの、重苦しく暗い何かに身体が抑えつけられている。それが何かは判らないが、……“動けない”。

 一方、叔母はごく普通の様子で答える。

 ──いや、明らかに普通では無かった。

「いつから、って。知らないわ。ああ、あの人には言わないでね、面倒なことになるから」

 藍が呆然と目を見開く。

 僕も言葉が出なかった。

 『知らない』って、何だろう。でも、何にせよ僕らはずっと──

 先程よりも強い吐き気に襲われる。

 最初は、こんな人じゃなかったはずなのに。

 よく見れば、“何か”が彼女に纏わりついているのがはっきりと視えた。

 真っ黒で、もやのようではあったけれど──あの時と同じ、大きな棘。

 ──もっと早く気付くべきだった。

 叔母はそのまま、歩みを進めようとする。

 そこに、藍が立ちはだかった。

「ちょっと、待ってよ!ちゃんと、説明……!」

 藍だって相当怖いはずだ。でも、正義感が強いのも彼女の長所。

 この状況に、どうしても納得がいかないのだろう。

 足を震わせながら、叔母を睨み付けた──その瞬間。

 叔母がいきなり顔をしかめ、金切り声で叫んだ。

「うるさい!邪魔よ!」

 勢いのまま、手にした包丁を思い切り振り上げる。

 ……そこからは、全てがゆっくりに見えた。

 目を見開き、凍りつく藍。

 そんな彼女に向けて、包丁を振り下ろす叔母。

 咄嗟に立ち上がり、駆け寄ろうとしたけど……やはり、叶わなかった。

 もやのような形状になったそれが、これまでよりも強く身体を抑えつけてくる。

 藍も同じだったのだろう。逃げようとしたようだが、間に合わない。

 

 包丁が勢いよく振り下ろされる。

 それは──思い切り、藍の体を切り裂いた。